何かにつけて「ブスなのに…」と否定する女

Twitterでは日々「あの子はブスなのに何故モテる!?」「あのコスプレイヤーはブスなのに、なんでフォロワー多いの!?」「あの地下ドルはブスなのに、なんでファンに貢がれるの!?」的な無数の「ブスなのに…」ツィートが流れてきます。

 

この手のツィートする女は、とにかくブスがある種のステータスや幸福を手に入れてる事が納得出来ず「股が緩いからだろう」「フォロワーを買ってる」…等のズルを行っていると決めつけます。


しかし逆に考えてみて下さい。


はたして容姿がいいだけで無条件に「モテまくる」「フォロワーがつきまくる」「貢がれまくる」みたいな状況になると本当に思えますか?
私は「そんな事はありえない」と断言します。

 

女の人生は美醜により大きく左右される

人間の価値を語りたがる方は「人は見た目じゃない!中身が大事なんだ!人は中身で人を判断する!」と叫びますが、あれは真っ赤な嘘!…とまでは言いませんが、美醜の評価が人間内面の評価をも歪ませることを無視しています。


人間は美醜にかなりのウェイトを割く生物です。


人はどうしても美醜と中身を切り離して考えることは出来ず、人は美醜という色眼鏡をかけたまま他人の言葉や行動の意味をはかってしまいます。


例えば「美人は性格が良い」的な何の根拠もない言説が、まことしやかに語られていますが、コレは「美人は外見補正で性格もよくみられる」ということに他なりません。
(私自身コスプレイヤーとして、様々な美人と関わってきたうえで断言しますが「美人は性格いい」は全くのデタラメです!個人の主観ですが、これは真理であるとの確信があります)


人間…特に女においては美醜によって人生の難易度が大幅に変わる…これは間違いないありません。


が、しかし

 

人の美醜は容姿だけで決まるのではない

そもそも人はどうやって人間を「美人」と「ブス」に判別しているのかと言いますと、それは自分にとって「快」であるか「不快」であるかです。


極端な話、広瀬すずのような絶世の美女であっても、人に不快感を与えれば「ブス」ということになります。


「そんな馬鹿な!どんな態度を取ろうとブスはブス、美人は美人だ!」と思うかもしれませんが、事実として広瀬すずは「とんねるずのみなさんのおかげでした」にて「何で自分の人生を、女優さんの声を録ることに懸けてるんだろう」と視聴者を不快にさせる発言をしネット上で「何様だ、このブス!」と叩かれまくりました。


この「ブス」認定は、ある種の嫉妬や強がりが含まれてるのだと思いますが、それでも一時期ネット民の間では「広瀬すずはブスである」との認識が出来たのです。
これは一例ですが、皆様におかれましても

「パッと見は可愛いけど横柄な態度をとるし、言葉遣いが汚いし、なんだか凄く不快な女だ。んっ、もう一回よく見たらコイツ普通にブスだわw」

…的な経験はあるかと思います。


また逆の例として、AKB48なるアイドルグループで(2016年)一番人気があるのは「ドブス指原莉乃」という現実があります。
(私自身は指原莉乃をブスとは思いませんが、本人の意思と自称を尊重して「ドブス」と表現しています。繰り返しますが、私自身はブスとは決して思ってません


容姿は美醜の絶対基準ではなく、単なる美醜を構成する一要素に過ぎないのです。

 

ブスと美人の違いとは?

「奇跡の一枚」という言葉があります。
これはその人が最高に美しくなった瞬間をカメラに収めた一枚という意味であり、コスプレイヤー達は何百枚と写真をとり「奇跡の一枚」をネットにUPしネット民を欺きます。


しかし「逆奇跡の一枚」という最高にブサイクになった瞬間をカメラに収めた一枚という概念もあり、どんな美人でも必ず不細工になる瞬間というのは存在します。
(実際に広瀬すずも上記の炎上時は悪意のある「逆奇跡の一枚」を掲示板等に貼られまくりました)


人は自分が好感を持った相手には良いところを探そうとする一方、嫌悪感を持った相手からは悪いことを探そうとします。
これは容姿においても同様であり、人は自分が好きな相手には「奇跡の一枚=美しい一瞬」を見出し、自分が嫌いな相手には「逆奇跡の一枚=不細工な一瞬」を見出します。


オタクが「AKBはブスの集まり!」とイキりつつどう考えてもAKB以下のアレな女を美人と持て囃し「姫」として囲うのも、普段意識高いこと言いまくってる自称上級国民が合コンで程よく芋臭い女に執心するのも、この現象に他なりません。
(一例としてあげただけで、私はAKBをブスの集まりとは思っていません。マジでイキりオタク達のこの手の発言には常々失笑しております)


コレは「この女とセックス出来そう」的な期待感=好意が、目の前の女を「絶世の美女」にしているのです。


例として分かり易く男の下心で説明しましたが、当然ながらこれはセックスの期待に限ったことでありません。
「趣味があう」「共感出来るところがある」「話が面白い」「尊敬出来る技量がある」「自分に優しくしてくれる」等の好意によっても、この現象は発生します。


繰り返しますが、容姿は美醜を構成する一要素であり決定打ではないのです。


ブスと美人の違いは、つまるところ「快に思うか?不快に思うか?」という違いであり、それは容姿だけでなく、性格や振る舞いや社会規範や立場や属性によっても定義づけられます。
そもそも平安時代の美人の容姿が「しもぶくれ、細い目、おちょぼ口、小さい鼻」とされたように、実は容姿の美醜すらも社会の価値観と文脈によって定義づけられるものなのです。
つまるところ「美しい容姿」というのも、社会の価値観や文脈において「快に思うか?不快に思うか?」というところに還元されます。

 

「ブスなのに…」で止まる前に


とりあえず女の世界は「ブス!」と言っとけば、相手を貶められるので、やたらめったら「ブス」という言葉が多用されます。


しかしながら「ブス」というのはつまるところ「私にとって不快だ」の換言であり、「ブスなのに…」の本質は「私にとって不快なのに…」というある種の嫉妬に他なりません。
(尚、これには認知不協和もあると思います。認知不協和についてはコチラをどうぞ)


人間社会において美醜は容姿だけでなく、実に様々な要素から形作られます


つまり「ブスなのに…」という方は、容姿以外の要素を上手く利用して多くの人に「この人は私にとって快だ!」=「美人」認定されている可能性が高いです。
それを容姿という美醜の一要素だけで否定し、叩くことに何ら生産的な意味はありません。


「ブスなのに…」と思う方に遭遇した場合は安易なレッテルを貼る前に、本当にその方はブスなのか?どういう立場であれば美人に思えるのか?どこに人々が好感を抱くのか?を探ってみては如何でしょうか?
そうすれば貴方はより美しくなれることかと思います。