素直に射精です←では「偽りの射精」とは何なのか?

少し前にある声優に寄せられた、こんな内容のツィートが話題になりました。


~素直に射精です。最近のすみぺにはどことなく勢いを感じませんでした、しかしながらこの一枚目、一週間ほど前に投稿なさった巫女コスに勝るとも劣らないスケべさ、高貴さ、可愛さを感じ取らずにはいられません。負けました、すみぺ、好きです。~


このツィートを文字通りに解釈すると「声優が投稿した写真が素晴らしく、ソレをオカズとして素直に気持ちよく射精する事が出来た」といった主旨の内容になるかと思います。


「素直に射精です」は、その語感の良さからネットスラングの一つとして定着し、至るところでエロコンテンツに対する賞賛的な意味合いで使用されています。


しかし、ここで疑問が残ります。


「素直に射精」という概念があるのでしたら、当然その対をなす「偽りの射精」があるはずです。


オタクがヲタ人生の中で大きな楽しみの一つである射精を、心や身体を偽ってまで行う理由は一体どこにあるのでしょうか?
また「偽りの射精」という概念を持つのは、果たしてオタクだけなのでしょうか?
ここでは、それを考えていきたいと思います。

 

「偽りの射精」は、フロイト心理学では説明不可能な現象である

精神分析学の創始者として知られるジークムント・フロイトは「全ての悩みはペニスに通じる」と言っても過言ではないほど、人間の精神状態の殆どは性欲に起因すると論じました。


そのフロイトが論じた人間の精神モデルは、大凡

1「人間には生まれついて性欲がある」

2「それを解消する必要がある」

3「解消出来ないとメンヘラになる」

というようなものです。


しかし、この精神モデルでは「偽りの射精」を説明出来ません。


フロイトの説に基づけば、性欲や性衝動が無いのであればソレを解消する必要性はなくなるので、心や身体を偽って射精するなどという精神状態は狂気とすら呼べない異常行動です。


勿論、ある特殊な環境下において男性には合理的に「偽りの射精」を必要とされる時はあります。


例えば妊活、夫婦のコミュニュケーション、AVの撮影などのケースは、男性自身の性欲に起因する意思とは無関係に射精が要求される環境と言えるでしょう。


しかし、私は同人活動その他における追徴課税を納付するために風俗で一年ほど働いていますが、そこで少なからず「わざわざ性欲を高める男性の存在」を目の当たりにしました。


風俗は一般的に「男性が性欲を解消するために高い金を払う場所」といったていで語られますが、しかし数少なくない男性が「わざわざ性欲を高め、それを高い金を払ってまで発散する」という現実があるのです。


またネットでも、恋人のいない男性の間で「精力がつくエビオス錠を飲んで性欲を高める(そしてオナニーする)」という行動がしばしば観測されます。


こういった事例から、私は男性において性欲は解消対象というだけでなく「時に自ら作り出してでも必要になるという側面を持つもの」であると結論します。


(因みにフロイトの「全ての悩みはペニスに通じる」という極論は数多くの反論がなされています。例えば「いやいや、人の精神状態を決めるのは対人関係である」と反論したのが「嫌われる勇気」で知られるアルフレッド・アドラーです)

男性が性欲を必要とする理由

射精やペニスへの刺激は快楽を伴います。
そして快楽は精液量に比例し、精液量は性欲の強さに結びつきます。


そのため男性は「性欲を快楽追求のために高める」ことをしますが、単純に快楽や刺激追求でしたらオナホールやAV等で満たせるはずです。(オナホールのほうが実際の膣よりペニスの快楽を得られるとすら言われてます)


この「快楽追求」は性欲を高める説明の一つではありますが、これだけでは高い金を払って風俗に行ったり、頭と股の緩そうなメンヘラとオフパコしようとしたり、下手な鉄砲数撃てば当たるでナンパする男性の行動原理を完全に説明することは出来ません。


彼等は一体何故、こうした非合理的な形で性欲を発散しようとするのでしょうか?


これは一般的に呼ばれる男性の性欲が、実は生物個体としての本能の他に、社会的意識による理性によって構成されているからに他らないからです。


例えば男性から女性への性暴力は殆どが「知り合い」相手に「計画的」に行われるものであり、その背景には性欲よりも相手を「支配したい」「優越感を得たい」などの欲求が見られます。


つまり男性の性欲は、ある種社会的意識の充足に不可欠なものなのです。

射精の快楽自体は性欲を解消しない

恐らく多くの男性は無自覚ですが、射精は単に性欲and/or快感だけではなく「自信」にも結び付きます。

これを端的に表現したのが北方謙三の「うじうじ悩むな、小僧ども。ソープに行け!」です。


しかし、私は何人か童貞の方を相手にしたことがありますが、そういった方々が「俺の満たされぬ性欲は解消されたぞ!俺、今超幸せ!」となるケースは皆無です。


私の魅力不足という面も考えられますが、とりあえず単純なペニス及び性感帯への刺激技術に関しては一般的な女性より技量and経験は上のはずです。
それでも童貞に限らず、風俗客全体の傾向として一般的な性交で得られる以上の性的快楽を経て射精に至っても、性欲が解消されることは非常に稀です。


彼等が性欲の発露に求めるのは肉体的な「快楽」だけではないのです。


その証拠…というわけでは、ありませんが皆さんは「(水商売ではない)女と性交することに成功した瞬間、何故か自信満々に性愛を語り出す元童貞」に心当たりはありませんか?

 (因みに女オタクの間では「彼氏が出来た瞬間、彼氏のいない女ヲタ仲間にウエメセでダメ出しや説教するイキりオタク女」を頻繁に目にすることが出来ます)

 

彼等の自信は間違いなく「肉体的快楽を得た」という性交体験ではなく「自らがアプロ―チした女性に受け入れられた」という成功体験から来ています。


この観点からすると、むしろ快楽追求としての性欲はあくまで「従」であり、主は「男性としての自信を得たい」という性欲であるとすら言えるかもしれません。


性欲は単純に射精による快楽にのみで構成されるものではないからこそ、金を払うことで女性に対する何らかのアプローチ飛ばし、性交に伴う快楽を得ても男性の性欲は満たされることがないのです。


また私の観測する範囲では、生活圏において女性と性交する機会のない風俗客ほど「オナ禁」や「精力剤」等で、わざわざ精液を溜める=性欲上昇による苦しい思いをし、そして風俗で性欲を故意に高めた「偽りの射精」をする傾向があります。


コレは恐らく「自らがアプロ―チした女性に受け入れられたい」という性欲を満たせないからこそ、精液を溜める=肉体面の快楽追求でそれを補おうとしているのではないか?と推測しています。

「偽りの射精」をする理由

こうした現象を省みて、私は男性の脳は性愛を処理する三つのシステムがあると思ってます。


まずは快楽追求=射精に伴う快楽を得たいとする「衝動」が女性全般へのドライブとなり、次に特定の相手に受け入れられたいand/or受け入れたいとする「魅了」がパートナーを選定し、最終的に「愛着心」がパートナーとの関係を長続きさせるのではないか?と推測してます。


フリードリヒ・エンゲルスは「原始時代の社会は、人類は男女で特定のパートナーを設けず、不特定多数の異性を相手に性交する水龍敬ランド(乱婚制度)であった」と述べていますが、現在の文化人類学においては「どんな未開社会を観察しても水龍敬ランドはないこと」「考古学的に発掘される遺跡は家族を単位としてること」「猿社会においても水龍敬ランドは少ないこと(チンパンジーとボノボぐらい)」「進化論的には性的二形が明瞭ではないこと」を理由に否定されています。


今の文化人類学では、人類は普遍的に一夫一妻制か一夫多妻制による家族制度を持っていたというのが定説です。


こういった背景を踏まえても、男性にとって「魅了」は性欲のかなりの部分を占める欲求であるという事が出来ます。


そのため男性にとって社会的and本能的に、素直に射精するためには「女性に受け入れられたand/or受け入れた」という成功体験は不可欠なものと思われます。
(性暴力ですら、単純な快楽追求のための射精ではなく「女性に受け入れられたand/or受け入れた」に代わる「支配欲and/or優越願望」によって引き起こされるのですから)


また逆説的に、その成功体験を得るにはモチベーション源として「射精による快楽追求衝動」も必要です。


それ故に男性は時に、快楽追求衝動のみによる性欲の解消を試みて、また性交に至る成功体験を得るのに射精衝動が必要なので、心や身体を偽ってまで射精を行おうとするのです。


偽りの射精をする理由、それは射精が持つ「快楽追求の衝動として」の性欲と「射精体験を通じ男性としての自信を持ちたい」という性欲の二面性によって引き起こされるのである…と私は結論します。